| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| タイトル | ドクター・デスの再臨 刑事犬養隼人 |
| 著者 | 中山 七里 |
| ジャンル | サスペンス / 社会派ミステリ |
| おすすめ度 | ★★☆満足した |
📖 感想レビュー:重厚な社会派ミステリの核心
中山七里氏の『ドクター・デスの再臨』を聴き終えました。本作は、前作『ドクター・デスの遺産』に続く犬養隼人シリーズの続編であり、安楽死を巡る事件が再び発生します。前作の背景知識がないと、犬養刑事の抱える葛藤の深さや、事件の重層的な構造を完全に理解するのは難しいかもしれません。
前作では犯人像の特殊事情を背景とした動機が際立っており、また報酬がほぼ実費であることから安楽死に対する使命を強く感じましたが、本作では報酬が高いことや犯人像の掘り下げがあまりなく、比較するとやや浅い印象も抱いてしまいました。
安楽死に賛同する団体への合流の場面もありましたが、その性質の違いからいまいち「どうしてこうなった」的な部分も否めないのも正直あります。
聖遺物としての神格化やプライベートジェットでのコントラバスケース輸送など、少し設定が笑ってしまうような部分もあり、好きなです笑
物語の核は、安楽死を犯罪として追い詰める刑事・犬養隼人の存在です。彼は、耐えがたい苦痛を抱えながら生きる人々の現実を知るがゆえに、「苦しい患者に対して、法がただ『生きろ』と命じ、死の選択肢を奪うのは本当に正しいのか」という、普遍的で答えの出ない葛藤に苛まれます。
「死ぬ権利」の裏に潜むリスク
私が特に深く考えさせられたのは、「死ぬ権利」が持つ本質的な危うさについての示唆です。
法が「生きる権利」を定めるのは、他者からの侵害から命を守るためです。しかし、もし「死ぬ権利」が法的に認められた場合、それは本当に純粋な自己決定権として行使されるのでしょうか。
小説内でも言及されていましたが例えば、高額な医療費が家族の生活を圧迫している状況。本人が苦しみから解放されたいと願い安楽死を選択したとしても、その裏には「自分が死ぬことで家族の負担をなくしたい」という自己犠牲の側面が色濃く残ります。また、資産の相続をめぐり、家族が安楽死を無意識に誘導したり、圧力をかけたりする可能性も否定できません。
法が安楽死を容認するための厳格なルールを設けたとしても、このように「死ぬことによって利益を得る者」が周囲にいる限り、「本人の真の意思」を外部の圧力から完全に切り離し、清廉潔白な自己決定として証明することは、現実には極めて困難であると感じました。
安楽死をめぐる議論は、このように、生と死、法律、そして人間の欲望が複雑に絡み合う問題であり、本作はそこに果敢に切り込んでいます。続編として新鮮味が薄いという意見もありますが、この解決し得ない問題に継続的に向き合い、その議論を深めること自体が、このシリーズの最大の意義であると感じました。
安楽死をめぐる考察
作品のテーマを深く理解するため、関連性の高い実在の人物の活動や、安楽死に関する世界の情勢についてまとめました。 一部、調べるのが難しい内容に関してはAIの回答を参考にしています。
1. 現実の「ドクター・デス」:ジャック・ケヴォーキアン
小説に登場する「ドクター・デス」のモデルの一人とも言えるのが、アメリカの医師、ジャック・ケヴォーキアン氏(1928-2011)です。
- 活動概要: 1980年代後半から、末期の患者や重度の身体的苦痛を持つ人々の自殺幇助を行い、「死の医師(Dr. Death)」と呼ばれました。安楽死を希望する患者本人がスイッチを押すことで薬剤の投与を行う機械を開発し、これにより安楽死を行いました。彼の活動により、130人以上が死を迎えたとされています。
- 思想: 「死ぬ権利」を主張し、耐えがたい苦痛を持つ人に対し、安らかで尊厳ある死の選択肢を提供することは、患者と医師の倫理的な権利であると訴えました。
- 結末: 彼の活動は激しい論争を巻き起こし、最終的には患者への薬物投与の様子をテレビで放映したことがきっかけで第二級殺人罪で有罪判決を受け、服役することになりました。彼は、自らの信念を貫き、アメリカにおける安楽死論争の火付け役となりました。
2. 海外における安楽死合法化の条件
安楽死や医師幇助自殺を合法化している欧米諸国では、乱用を防ぐために極めて厳格な条件が設けられています。
| 国・地域 | 安楽死の種類 | 共通する要件(抜粋) |
|---|---|---|
| オランダ、ベルギー、カナダなど | 積極的安楽死・自殺幇助 | 1. 恒常的で耐え難い身体的または精神的苦痛がある。 2. 改善の見込みが医学的にないと診断される。 3. 自発的で熟慮された、持続的な要求である。 4. 複数名の医師(場合によっては心理学者)による厳格な審査を経る。 |
| スイス、米国の一部 | 医師幇助自殺(患者が実行) | 1. 末期疾患であること(余命の規定がある場合も)。 2. 意思能力が完全に保たれていること。 |
3. 日本の死生観と安楽死の議論
小説の中でも、安楽死を容認する海外と、そうではない日本との死生観の違いが触れられています。これは法制化を阻む大きな要因です。
| 視点 | 安楽死合法化国(欧米圏が主) | 日本の伝統的な死生観 |
|---|---|---|
| 価値観 | 個人主義・自己決定権が最優先。自分の死は自分で選ぶ「権利」と見なす。 | 共同体・自然の摂理を尊重。生老病死は自然の理であり、苦しみも含めて受け入れるべきものと考える傾向が強い。 |
| 家族関係 | 決定はあくまで本人の意思であり、家族はサポート役。 | 家族が患者の意思を代弁したり、延命の是非を話し合ったりする集合的な決断となる傾向が強い。 |
| 医療倫理 | 苦痛からの**解放(QOLの維持)**を重視し、安楽死はその選択肢の一つと見なされ得る。 | 医師は救命・延命に努めることが責務という意識が根強く、安楽死を「殺人」と同一視する見方が強い。 |
2025年現在、日本では安楽死は法的に認められておらず、この小説が描くような倫理的・社会的なジレンマは、まさに私たちが直面している課題そのものだと言えます。